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フォンテーヌブロー条約 (1814年) : ミニ英和和英辞書
フォンテーヌブロー条約 (1814年)[ふぉんてーぬぶろーじょうやく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブロー : [ぶろー]
 【名詞】 1. blow 2. (n) blow
条約 : [じょうやく]
 【名詞】 1. treaty 2. pact 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

フォンテーヌブロー条約 (1814年) : ウィキペディア日本語版
フォンテーヌブロー条約 (1814年)[ふぉんてーぬぶろーじょうやく]

フォンテーヌブロー条約(フォンテーヌブローじょうやく、, , , )は、1814年フランス第六次対仏大同盟諸国との間で締結された講和条約で、皇帝ナポレオン1世の退位条件を定めたものである。
フォンテーヌブローフランス北部パリ郊外にある締結地の名前。
1814年4月11日に合意に達し、4月16日に締結された。退位したナポレオンはエルバ島を隠居地とし、近衛隊と共に隠棲することに決まり、事実上のフランス追放となった。その引き換えに200万フランの年金がフランス政府から送金されると約束され、皇后マリー・ルイーズと息子のナポレオン2世にはパルマ侯国の統治者の地位が与えられて、後に同島に赴くことも約束された。
4月20日、ナポレオンはフォンテーヌブロー城を出発しエルバ島へ向かった。しかししばらくしても年金や皇后との合流は果たされず、ウィーン会議において同盟国側は約束を反故にしたことが明らかになったことから、ナポレオンは同条約は破棄されたものとして翌年脱出して、フランスに帰還を果たした。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォンテーヌブロー条約 (1814年)」の詳細全文を読む




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